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子ども連れについて …常識欠如プログラム
えー、将来の自分への戒めとして、ヒンシュクを承知で言ってしまいますが…
実は私、子ども連れが少し苦手なんです。特にレストランや乗り物の中など静かな所で子どもに騒がれたりすると、イライラしちゃって。でもこれは、子供が騒いでいるのがイヤ=子どもが嫌い、と直結するものではありません。それ以上に、そういう子どもを連れている親に対して、不快な感情を覚えてしまいがちなのです。
もちろん、子どもが回りに迷惑をかけていることを自覚し、きちんと注意を与える親なら、多少子どもが泣いたり騒いだりしたとしても、仕方ないな、大変だな、と思いますし、むしろ「しっかりした親御さんだなあ」と感心さえするのですが…残念ながら、そうでない親も多いと思うんですよねぇ。
実は、私の知り合いにもいます。その夫婦は、自分達に子どもがいなかった頃、レストランで子どもに騒がれたりするのが本当に不愉快でたまらなかったのだそうですが、「でもね、親になると変わるよ」と。…それがどう変わるのかというと、ほかの人の子どもを大目に見るようになるというわけではなく、「自分の子どもが迷惑かけても仕方ない」という方向にいってしまったらしいんですね、彼らの場合。「自分達が不愉快な思いをしたから静かなレストランは避けよう」などという方向にはアタマが働かなくなってしまったようです。そしてその夫婦は、静かでいい雰囲気のレストランに小さな子どもを連れて行き、大人同士での話につい夢中になって、子どもを放っておいたそうです…その子が席を離れ、ほかのお客さんに迷惑をかけていることにも気づかずに…。そのうち店員さんがやってきて、二人がきつく注意をされたのは言うまでもありません。
まあ、ここまではいいんです。でも私がぶっ飛んだのはこの後の彼らの言葉。
「でも、俺達が騒いでいたんじゃなくて、騒いだのは子どもなんだよ」
…バッカじゃないの?!…
私は、危うくこの本音を口に出してしまうところでした。 騒いだのはアンタでなくてもアンタが連れてきた子どもなんだから、責任もって面倒を見なさいっていうの!
もう一つ、これは見ず知らずの人の例なのですが・・・
比較的若いお母さんが二人、それぞれベビーカーを押してデパートの中を歩いていたのですが、その片方の赤ちゃんが、ものすごい大泣きをしているんです。それもただ泣いているわけでなく、救急自動車のサイレン並みの音量で、「ギエーーーーッ」と絶え間のない絶叫。私はまずそのものすごい雄たけびに驚き、さらに驚いたのは…
その二人のお母さんが、全くその声が聞こえていないかのように、楽しそうにおしゃべりしながらベビーカーを押していた事だったのです。
ベビーカーに乗せられたまま、鼓膜が破れそうな音量で絶叫する子ども、そのベビーカーを押しながら、平気な顔でデパート内を回るお母さん二人…
あまりの驚きに、私はつい立ち止まり、その一行が通り過ぎるのを見送ってしまいました。ふと気がつくと、その場にいた回りの人たちも…。でも本人達は、周囲の視線が全く目に入ってこないのか、楽しそうに話しながら、何事もなかったかのように去っていったのでした。
ここまで極端でなくとも、子どもを連れた親というのは、どうもどこか神経が麻痺してしまっているように感じる事が多いんです。特にお母さん同士で集まっている場合は「私達は子連れなんだから仕方ないわよね」とばかりに、妙に強気。十数名乗れるはずのエレベーターをほんの数台のベビーカーで占拠されたりすると、他の人たちには結構迷惑がかかると思うのですが、そういうことも全然平気。乗れなかった人に「すみません」の一言くらいあってもよさそうですけど・・・それどころか、そういう場面でほかの人が順番を譲ってくれても、当然のような顔でお礼も言わなかったり。
こういう場面での気遣いのなさは、もちろん子育て中のお母さんに限っての事ではありませんし、その人の本質的なものもあると思うのですが、それでも目にする事が多いのが、なぜかそういう小さな子どもを連れた若い親達なのです。
ちなみに私は、そういう若いお母さん自体が迷惑と思っているわけではありませんし、例えばベビーカーを押すお母さんが自分の前を歩いていたら、先に行って、その人のためにドアを開けて待つのが当然だと思っています。でもそれをあたりまえの顔で通過されたりするとやはり、あまりいい気持ちはしません。一言「すみません」「どうもありがとう」と言ってもへるもんじゃあるまいし、と思うのですが・・・
こういう人たちの様子を見聞きするにつけ、小さい子どもを育てるためには一般常識欠如プログラムが作動するものなのかな、などと考えてしまいます。そうでなくても子育ては大変なのに、自分が連れている子どもが泣いたり騒いだりするたびに周りに神経を使っていては、気持ちも体も持ちませんよね。その自衛策として、どこかの神経が切れてしまうのかなあと。もしそうだとしたら、それはもう周りが笑って許すしかないことなんでしょうかね…
さらに。
私が知っている限り、親のほぼ100%が親ばかです。子どもがあまり好きでなさそうに見える人も、自分の子どもに関しては単なる親ばか。この親ばかも、たとえどんな子どもでも愛情を持って育てられるよう神様が組み込んだ、親ばかプログラムなのだろうと思いますが…
この二つのプログラムは、人間が精神の健康を保ちながら子どもを育てるために、必要不可欠なものなのかもしれませんね。
そしてこのプログラム、特に一般常識欠如プログラムは、子どもの成長とともに通常の状態に戻るものだと思うのですが、それがそのまま機能しつづけてしまった結果がオバタリアン(古いね ^^;)だというのが、私の仮説です(笑)。
さあ、ここまで書いてしまって、私は一体どんな親になるんでしょうか?! ま、きっとここに書いたような非常識な親になって、世間のヒンシュクを買うんだろうなあ…。そうならないように、今から心して挑もうとは思っているのですが…
?-2000
追記:
むう、今読むと、ちょっと書きすぎかなーと思う部分もありますが、常識欠如プログラム(仮称)や親ばかプログラム(仮称)は実際あるんじゃないかなーと今でも思っていますし、また、必要なものだとも思っています。
ちなみに、私が知っている限り、親ばかプログラムが最も顕著で、なおかつ現在も作動しているのが、私の姑です(笑)。
また、私は子育て中のお母さん皆さんが非常識だとは全く思っていませんし、周りの方に配慮されている方も大勢いらっしゃるのも承知していますので、誤解されませんよう。
Feb-15-2006